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2013/06/02

【1000文字小説】カラス



カラスの鳴き声が聞こえた。茶の間に座ってお茶を飲みながらテレビのワイドショーを見ていた広江は視線を窓の外に移した。向かいの家の二階の青いトタン屋根の上にカラスが一匹止まっていた。

嫌だわ、と広江は心の中で呟いた。カラスが鳴いた家には死人が出ると広江は思っていたからだった。不吉な感じがする。これまで何度屋根に止まったカラスが鳴いたことを聞いただろう。どの家でも死人が出たことはなかった。それでも不吉な感じは消えない。カラスにとってはいい迷惑か。
あの家の屋根に行って鳴けばいいのに、と広江は隣の家の主婦光子と光子の一人娘紀子ちゃんの顔を思い浮かべた。紀子ちゃんはこっちが「おはよう」とか「こんにちは」とか声をかけても聞こえないふりをしたり「ああ」とか「うん」とかまともな挨拶も返せなかった。それは親の教育が悪いのだ。その紀子ちゃんの弾くピアノがうるさい。広江はピアノが好きだった。自分で弾くのではなく、近所のレンタルショップや図書館からCDを借りてきてはCDラジカセで聞いていた。音は悪いけれども気にならなかった。ドビュッシーがお気に入りだった。好きなピアノが下手な演奏をされると腹が立った。そうじゃないわ。また間違えた。下手くそ。もう!
ピアノの音がうるさいと何度か注意したが、逆にお宅の猫がいつもうちの庭に来てマタタビの木をかじると注意された。猫は仕方ないじゃない、そういう生き物なのだから。紐で縛っているわけじゃないし、自由な生き物なんだから。だが人間は違う。ピアノは止めようと思えば止められるのだから、人が迷惑だと言えば止めればいいじゃない。そう考えて広江は憤慨した。考えると血圧の高い広江の血圧は更に上がった。死んだら隣の親子のせいだ。
何度も言い争いになったが解決されなかった。ピアノは聞こえてくるし猫は歩き回る。あんな下手な子はいくら練習したってだめなのよ。親がああだから子も大したことはないわ。早く見切りをつければいいのに。
カラスよ、隣の家に行って鳴け。そう思ってカラスを見ていたら飛び立って、広江の家の屋根に来てカアカアと鳴き始めた。何よ、うちじゃないわ、隣よ、隣。広江は憤慨した。うちでは死人なんかでないわ。
カラスの声に憤る広江の耳に、隣の家からのピアノの音も聞こえている。光子の一人娘紀子ちゃんが弾くバイエル。カラスの鳴き声とのアンサンブル。上がる広江の血圧。紀子ちゃんはまた間違えた。(了)



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