【1000文字小説】まだ渡せない手紙



授業中に拓也が見つめていたいもの、それは教師や黒板や三階の窓から見える外の景色などではなくて、初恋の相手、紀子だった。

いつもの紀子は、黒板や教科書やノートに目をやる時間よりも、窓の外の景色を眺めている時間の方が長かった。不思議と教師から注意も受けず、黒目がちの瞳で見ているのだが、今日の紀子は時折拓也の方へと視線を投げかけた。視線がぶつかるたびに拓也は慌てて目をそらすのだが、紀子の方も頬を赤く染めて目をそらした。

紀子とは進級したときのクラス替えではじめて同じクラスになった。同じクラスになったとはいえ、口をきいた事もなかった。

紀子はあまり目立つとはいえない存在だったが、拓也にはクラスメイトの中でも紀子一人だけが、眩しげな光彩を放し出しているように感じた。

拓也は、自分の気持ちを伝えるために手紙を書いた。数行書いては書き直し、何度も何度も書き直して、ようやくでき上がった苦心の作だった。

だが、いざその手紙を渡すとなると、どうしても思い切れない。家を出るときには、今日こそは渡すぞと決意するのだが、今日こそは、と思いながら渡せないまま一週間が過ぎていた。

手紙はカバンに入れたまま、今日も紀子に目をやっていたが、その紀子と奇妙に目があうのだった。

「あの」

放課後、拓也は後ろから声をかけられた。それは聞き間違えるはずがない声だった。拓也が振り返ると、ジャージ姿の紀子が立っていた。澄んだ瞳がじっと拓也を見つめていた。

「お手紙、ありがとう」

はにかみを含んだ表情で紀子は言った。頬が上気していた。

「びっくりしたけど」

「え、あの、手紙って」

拓也の顔も赤らんた。声がうわずった。汗がしきりと流れ落ちた。

「嬉しかったわ」

え、今、何て言ったのだ? 嬉しかったわ、だって!

「じゃ、あたし、行かなきゃ」

走り去ってしまった。科学部に籍を置くだけの拓也と違い、陸上部の紀子はこれから練習があるのだろう。拓也はただ呆然として紀子の後ろ姿を見送った。

夢ではない。紀子から話しかけてきて、そして言ったのだ。嬉しかったわ、と。

でも、どういう事だろう。

紀子は手紙を読んだかのような口振りだった。
拓也はカバンの中を確かめた。勇気のなさを象徴するように、手紙はまだあった。封も開いていないから、誰かに覗かれたというわけでもないようだった。

わからなかったが、明日からは、ただ見つめるだけではないという期待に、嬉しさがこみ上げてくるのだった。(了)

作家トム・クランシー氏が死去。
66歳でした。
読んだ事はありませんが、名前だけは知ってます。



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