三時間目の休み時間に克明は、目の前を早足で駆けていった女の子が定期入れを落としたのに気がついた。顔だけは知っている。最近転校してきた隣のクラスの女の子だ。
克明が拾っている間に、気づかず行ってしまった。すぐに始業のチャイムが鳴ったので、克明は定期入れを渡せないまま教室に入った。席に着いてから拾った定期入れの定期券を見る。
あの女の子の名前だろうか、鈴宮麻子、と書かれている。
そして駅名だろうか。
『符嶺亜輝洲⇔庵怒路米太』
この辺の地名ではない。全然読めないし、聞いた事も無い。
教師が入ってきたので当番は「起立」の号令をかける。立ち上がった克明は定期入れをポケットにしまった。
克明は教科書とノートを開き、シャープペンを取り出してノックしていると、不意に教師の声が聞こえなくなった。顔を上げると、周囲が見知らぬものに変わっている。
そこは、汽車の中だった。四人がけの椅子にひとりで座っていた。軽い振動が体に伝わる。窓の外の景色は真っ暗で何も見えない。周囲を見渡した。乗客は克明一人だけのようだった。
どういう事だ? たった今まで教室で授業を受けていたはずなのに、何だって汽車になんか乗っているんだ……。
呆然としていると、突然車両のドアが開いた。
「切符を拝見します」
車掌が入ってくる。身長二メートルはある、鍛え上げられて体格の、まるでプロレスラーのような男だった。凶悪犯のような形相が恐ろしい。たった一人の乗客を見つけた車掌は、克明のもとへつかつかと歩みよってくる。
「切符を拝見」
「え? 切符……」
「何かね」
車掌の好戦的な目が克明を睨み付けた。その目は、切符が無いなんて言ったら、ここから放り出してやるぞ、と言っているように思えた。
「こ、これかな」
克明は拾った定期入れを恐る恐る差し出した。
「何だ、定期券を持ってるじゃないか」
克明はほっとした。こんなところで放り出されたら帰れなくなるかもしれない。かといって、乗っていてもどこに着くのかわからないのだが。
「ん?」
車掌の表情が硬くなった。
「お前の名は何ていうんだ? ここには鈴宮麻子と書かれているが、お前は男じゃないか」
鬼のような形相に変わった車掌は言うが早いか克明を片手で軽々と持ち上げた。窓を開けると車外へ放り出した。
「わああああ……」
克明はいつの間にか教室にいた。教師が黒板に何か書いている。授業中だった。
今のは夢だったのか?
ポケットから定期入れは消えている。
(了)
今日は立冬。これから寒くなっていきますね。コートを着たり、車のタイヤをスタッドレスに代えたり、ハッピーバースデーフーユー。
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